「友だち」って何だろう?
一緒に何かをしたり、遊んだりする人のことを「友だち」と呼ぶことが多い気がする。
友だちが少ないとか友だちがいない人というのは、一緒に何かをしたり遊んだりする人が少ないとかいない人のことを指すのだろう。
つまり、1人でいることが多いとか常に1人でいるということなのだろう。
このいわゆる友だちがいない人は、淋しい人とか変わった人などと、マイナスなイメージを持たれるらしい。
友だちの多さ(人数)を自慢する人もいるらしいが、友だちっていなきゃいけないものなのだろうか?友だちがいないことって悪いことなのだろうか?
私はアメリカの大学に通っていた。
特に、1年生の頃、毎週末、パーティー(飲み会)でワイワイやっていたが、どこか空虚感があった。
私はお酒が好きだったし、人と関わることが嫌いなわけではなかった。
でも、正直に言って、つまらなかった。
うわべだけの付き合いに終始していたからだ。
〜のことを知っているとか知らないとか、〜が〜の友だちだとか、お酒が強いとか弱いとか、どれくらいの量を飲めるとか。
それにも関わらず、毎週、パーティーに行っていた。
なぜか?
友だちがいない奴だと思われたくなかったし、根暗な奴だと思われたくなかったからだ。
特に、留学生の間では、アメリカ人の友だちがいる(多い)ことが一種のステータスだった。
つまらなかったのに、周りからどう見られるのかを気にして、毎週、無理して飲み会に行っていた。
ところで、アメリカの大学には、18歳の子ばかりが通っているわけではない。30代、40代はもちろん、60代の学生もいた。
2年生の頃、物理の実験を一緒にやっていたホセという学生と仲良くなった。当時30代で、救急救命士の仕事をしながら大学に通っていた。結婚もしていて、2人の子供に恵まれ、幸せな家庭を築いていた。
Thanksgiving(感謝祭)で大学が1週間休みになるのだが、ホセがうちに来ないかと誘ってくれたので、1週間ばかり世話になることにした。(こうした長い休みは、留学生でも寮を出ないといけなかったので、滞在先を探さなければならなかった)
Thanksgivingの日、ホセは夜勤で、私も救急救命室で、出動の連絡があった場合に備えて、ホセと一緒に待機させてもらえることになった。
夜の静かな救急救命室で、私はホセに、自分の心のうちを明かしてみた。
周りの目を気にして毎週末つまらないパーティーに行っていたが、酒を飲んで「オレたち友だち」などと言っていても、大事なこと(将来のこと、宇宙の謎や世の中のことなど)を語り合えるような、信頼できる友だちがいないことだ。
英語力の問題だけでなく、むしろ私の人格に問題があるのではないかとも思っていた。
すると、ホセはこう言った。
「学生の頃、いつも仲良くしていた友だちがいて、卒業後、しばらくの間、連絡を取り合っていたけど、仕事だったり、結婚して、子供ができたりして、互いに自分の生活が忙しくなって、いつの間にか連絡を取らなくなってしまったんだ。そういう点では、僕には友だちはいないかな。今、何でも話せて、大事なことを語り合えるのは妻かな。だから、妻が信頼できる友だちさ。君も、いつかきっとそうなるよ」
私は一人でいることが多い。人付き合いを拒んでいるわけではない。
一人で何をしているのか?
私は自分自身と対話をすることが多い。自分自身と語り合っていると言った方が正確だろうか。
「友だち」って何だろう?
私にとっての「友だち」とは、同じものを見ている人なのかもしれない。
一人でいる時間を大切にし、自分自身と語り合うことが自然である人は、周囲から孤独に見えるかもしれないが、決して空虚な時を過ごしているのではなく、むしろ豊かな時を過ごしていると、私は思う。
私は「そんな人」との出会いを楽しみにしているし、「そんな人」が私のような人物との出会いを楽しみにしていると信じたい。
今、「友だち」がいなくて悩んでいる人へ。
一緒にいてつまらない友だちと過ごす時間が空虚であると感じているならば、無理に友だちを探すのではなく、一人でいる時間を豊かにすることを考えてみてはいかがでしょうか。
そして、いつか大事なことを語り合える、信頼できる人と出会えたとき、その人に応えられるように、自分自身を豊かにして、周囲の目を気にせず、堂々と待っていればいいと私は思います。
